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199110月〜 Washington State UniversityInstitute of Biological ChemistryというところでResearch AssistantとかGraduate Studentなどをやっていました。このころの研究は重力や曲げとアテ材生成の関係。土曜日は必ず昼はゴルフで夜はパーティーでした。ジャガイモとタマネギがおいしい土地でした。この当時のボス、最近評判を聞いたらSlave driverと呼ばれていました。

19942月 九州大学農学部林産学科で助手のクチが空いたと言うことで着任。よっぽど人材難であったと思われます。このときから、ヒノキチオールだのテルペンだの樹木培養細胞だのと口にするようになりました。

その後、改組により所属名称変更(九州大学大学院農学研究院森林資源科学部門森林機能開発学講座森林生物化学分野)、人間は何も変わっていないのですが。

20023月〜20033月 文部科学省在外研究員として米国ブラウン大学化学科でテルペン合成の研究を続けました。ボスのProf. Caneはなかなかの人格者でした。テルペン生合成研究の大御所、Prof. Croteauも大人物で知られていますから、テルペン研究者は人格が良くなっていくのでしょうか?(学会で会う人たちも善人ばかりなので、きっとそうでしょう。)この年は、運良く小澤征爾のボストンシンフォニーでの最後の講演の時でした。Tangle Woodまで行ってきました。ものすごく綺麗なところでした。メインはSymphonie fantastiqueでした。日本人の観客が少しうるさかったけど。

この頃からやっと論文が出るようになりました。○○の親心はありがたいのですが、多少の間違えで恥をかいても自分の勢いで出した方が仕事は進むようです。

さらに改組により所属名称変更(九州大学大学院農学研究院環境農学部門サスティナブル資源科学講座森林生物化学分野)、本当に人間は何も変わっていないのですが。

2012年3月から3ヶ月間、University of CopenhagenのLife scienceでDr. Björn Hambergerのお世話になりました。実際に研究室内の面倒を見てくれたのは大学院生のSøren S. Bach。彼らもまたびっくりするほど親切な人間でした。というか、ラボ全体に人柄が良い。今、僕にとってデンマーク人の印象は最高です。肌寒い街ですが、公園などはものすごく良く整備されています。チボリ公園は夜12時まで営業です。本当は大人の遊園地なんですね。

そして、現在に至る。