九州大学大学院 農学研究院 森林保全学研究室

2003年7月の九州地方土砂災害調査報告11月改定版
 



 森林斜面の安定に関する研究の一環として下記の箇所に対する追加の現地調査などを行いましたので、現時点で把握している情報を公表させていただきます。

 
数値等 は修正・変更の可能性があります。

 ◆このページの情報は、
学会の調査団員としての公式な見解ではありません
  


1.7月1日の大分県日田市三和の農地における流動性崩壊

7月16日に現地調査しております。


a.崩壊の概要

 1)発生日時: 2003年7月1日午前11時50分頃。

 2)場所: 大分県日田市三和

 3)規模: 現地の測量から崩壊部は、幅56m長さ約30m、最大深さ約7m程度の横長に近い形であるが、流動化の結果200m以上流下している。崩壊頭部はトウモロコシ畑になっており、原型をとどめたトウモロコシを乗せた農地の残土が73m〜100m押し流されている。上記の幅と地形から、概算の崩壊土量は7000m程度と推定できる。

 4)崩壊の勾配: 実測では、崩壊の流動堆積部は4.5度から5度、崩壊部は10度であった。等価摩擦係数は地形解析から0.170〜0.175程度と考えられる。

 5)地質・土質・など: 周辺地域には基盤として安山岩も分布するが、崩壊地周辺は第四紀の阿蘇火砕流堆積物(黒色)とクロボクの上に農地造成に使用された盛り土と思われる褐色の土が載っている状況であった。

 採取したサンプルの透水係数は盛土部が5.8×10-2cm/s程度、火砕流堆積物(黒色)が3.1×10-4cm/s程度であった。
このことから、透水性の高い上層の土層と透水性が小さな下層の境界に地下水が集中して発生原因となった可能性もある。

 崩壊側方崖の土壌硬度の調査では、上部の盛り土がその下の地山と思われる黒色の堆積物よりも2倍程度硬い。またこの下部の堆積物は飽和に近い水を含むと泥〜粘土状になっており、容易に流動するものと推定した。また、飽和させたサンプルのせん断試験の結果によると、崩壊周辺の下層火砕流堆積物の強度は盛土と思われる上層土層より粘着力C、内部摩擦角φともかなり大きい。 上層の盛土と思われる土層は、降雨・地下水により飽和して弱くなった可能性が考えられる。

 6)植生:トウモロコシ・ブドウ畑の他はクリの林が流下部右岸に見られる。他に、木本ではネムノキなどが周辺に分布している。
 作物を含む植生の根系の分布は、当然、表層の盛り土部内の約1.2m程度と浅く、今回のように7m程度の深さのすべり面をもつ崩壊には、根系の補強効果は無関係と考え られる。
 

 7)地形:集水地形で、かなり豊富な湧水が見られた(写真1、写真2)。
 斜面方向はほぼ南向きでS5°W程度となっている。また、GPS測位によると、崩壊部下端の緯度はN33°21′18″、経度はE130°56′26″、標高は154m程度となっている。
 等価摩擦係数(標高差/崩壊・流動長)は上述の通り、崩壊土量と比べて0.170〜0.175程度と、大宰府崩壊・土石流の0.217〜0.357よりかなり小さく、この現象は流動性に富んだものと考えられる。ただし、1999年の広島災害では土石流に関して0.150〜0.350との報告もあり、小さいとはいえ通常の等価摩擦値とも考えられる。

       
 写真1 崩壊部滑落崖下方の湧水の状況         写真2 
崩壊部上端右岸寄り(写真1の上、
         (7/16、写真の上側が滑落崖方向)            デジカメ不調につき解像度等が悪いです。ご容赦ください。)

b.気象条件

 7月1日の九州北部には梅雨前線が停滞しその前線上を東シナ海方面からメソ低気圧が東進して来る状況で,上空700hpa高度や850hpa高度にも西方から水蒸気が供給されて強めの降水が継続する状態であった。崩壊の生じた7月1日前日も20mm/hrを越す やや強い雨が日田周辺では観測されており、 崩壊当日も10mm/hr程度の雨が時折みられた。

必要に応じて再調査などを予定しています。


◆  現地を案内していただいた大分県日田地方振興局耕地課の佐藤主幹に記して感謝いたします。

 地すべり学会調査団による調査も行われております。地すべり学会調査団報告については、地すべり学会ホームページ の緊急調査団報告PDF文書(下記)をご覧下さい。 写真なども合わせてご覧になれます。
 URL: 
http://japan.landslide-soc.org/tpoics/sokuhou/030717ooita_hita.pdf 


2.7月19日の太宰府市における土石流など

 太宰府市及び宇美町周辺には多くの崩壊や土石流が見られる。 航空斜め写真から見る限りでは、農地や森林被害も含めると、箇所数は40箇所に上ると見られる。その中で人命の損失と住宅被害が大きかったのは、太宰府市三条の太宰府原川であった。 調査は、7月、8月、11月(最新は20日と22日)に行いました。

a.災害の概要

 1)発生日時: 2003年7月19日午前5時50分頃。

 2)場所: 福岡県太宰府市三条1丁目(御笠川上流の右支川、太宰府原川)

 3)規模: 流域に崩壊は複数あるが、最大のものは四王子山脈峰部(標高349m)から発生し、幅約36m長さ90m程度で勾配約32度の縦長に近い形である。 この崩壊下流の連続した部分にも同様の幅で長さ約110m程度の崩壊部があり、他にも幅30m程度長さ55m程度勾配約34度と幅25m程度長さ40m程度の崩壊も峰部に発生し、太宰府原川に流出している。これらの崩壊土砂が下流扇状地まで流動化したとすると、結果1km以上流下していることになる。この地点は、1973年7月31日にも土石流災害を受けている。今回の土石流は砂防堰堤を乗り越えて到達したもの。
 1973年の被害空中斜め写真と今回のそれとを比較すると、氾濫域は今回の方がやや狭くなっているように見える。死者1名、被害家屋多数(写真3)。

写真3 太宰府市三条の土石流被害


-- その他の写真 --
 

 このほかにも隣の渓流の源頭部(同じく四王子山脈峰部 、緯度経度は約N33°31′39″とE130°31′29″)に3箇所の崩壊が見られたその他の写真
 これが流動化して、峰部の大野城遺跡(7世紀)公園や県民の森公園に通じる観光用林道に被害を与えたと思われる。規模は右岸方向に当たるものが、実測で幅約33m長さ約20m勾配約34度、中央のものが幅約11m長さ8m滑落崖高さ約6m勾配約40度、左岸方向のものが、幅約13m長さ約10m勾配約38度であった。渓流の流下部の勾配は26度程度であった。

 

 4)勾配・等価摩擦係数: 土石流被災地(扇状地の堆積部)の勾配は、約3.5度、同地点の既設流路工(一部破壊されている、幅約2.2m、深さ1.6m)の河床勾配は5度。砂防堰堤上流の流下・堆積部は8度〜5度程度、 源頭部崩壊は30度〜34度程度である。 砂防堰堤のある地点でも8度程度。
 等価摩擦係数は、峰部崩壊が流下したものとすると、地形解析から0.267程度と計算される。
 今回発生した位置の確認できる崩壊・土石流8箇所の空中写真判読と地形解析から、等価摩擦係数は0.217から0.357で、砂防ダムが数基あり途中で停止したと思われる場合が0.400程度であった。1999年広島災害の0.150〜0.350よりやや大きな値を示す

 5)地質・土質・など: 花崗岩が分布する。この花崗岩上部にのっていた緑色岩類も崩壊地などに散在している。風化花崗岩・マサ化した斜面が土砂災害を生じやすい。
 上記の右岸方向の崩壊地の露頭では、ブロック状の花崗岩が見られ、その露頭での節理の走向はN80°W、傾斜64度Sであった。

 6)地形:斜面は南東向きで、下流部谷の出口は扇状地地形になっている。
 被災地での氾濫幅は約99m、砂防堰堤直下では17mであり、最大礫径は人家被災箇所(写真3)で、長さ2.6m、幅1.9m、高さ2.3mであった。砂防堰堤上流にも  1.6m×1.6m×0.9m程度のものは堆積していたが、堰堤は満砂状態なので下の方にはさらに大きな礫が埋積している可能性がある。

 7)植生・流木: ヒノキ・スギやアラカシなど広葉樹類、下流には竹などが分布する。流木はかなり多く、砂防堰堤に止まっている最大のものは直径25〜26cmであった。 広葉樹類の流木も相当数見られた。

b.気象条件

 7月19日の九州北部には、@寒冷前線(梅雨前線)が停滞しており、A大陸方面からの水蒸気を含んだ西寄りの上空の風及び B遠方の台風7号により多量の水蒸気を供給された太平高気圧縁辺流が 、C九州西方東シナ海上で収束し、D5000m〜10000m上空に寒気の残る700hpa高度や850hpa高度(1500m〜3000m)に暖かい水蒸気 にとんだ空気が供給され、強い降水が継続する状態であった。

 このため、テーパリング・クラウドと呼ばれる激しい気象を引き起こす雲塊も海上に現れ、線状に組織化された積乱雲群が発生、次々と接近して大雨となった。(このテーパ リング・クラウドは東シナ海上での出現頻度が高いものとされ、700hpa高度の上昇気流域と関連するとされている。)

 太宰府市三条にある県の雨量計では7月18日夜も40mm/hrを越す強い雨が観測されており、当日は、1時に46rmm/hr、2時と3時も28、34mm/hr、4時には82mm/hr、5時に78mm/hrと非常に激しい雨が観測されている。累加雨量は6時には299mmとなった。アメダスでは、99mm/hrが観測されている。
 また、この地域周辺での強い降雨が御笠川下流にある博多駅周辺の大出水を引き起こしたと考えられている。

◆ 福岡県土木部「砂防課」の皆様、ならびに『朝日航洋』の皆様には貴重な資料と航空写真を提供いただきました。
有難うございました。


3.7月20日の水俣市における崩壊・土石流

 現地調査に参加する機会を得ましたので、 その時の情報をここでお知らせいたします。

    

写真4 水俣市宝川内集地区被災箇所

a.災害の概要

 1)発生日時: 2003年7月20日午前4時20分頃。

 2)場所: 熊本県水俣市宝川内集地区(写真4)

 3)規模: 崩壊部(写真5)は、現地調査と航空写真・地形解析より下端幅約100m、上端滑落崖部約80m、長さ約200m、崩壊深は10m程度以上と考えられる。これから、台形近似をすると崩壊面積は18000m2程度、崩壊土砂量も9万から10万m程度と推定される。対岸の崩壊土衝突・流下部(写真 6)の森林斜面内に亀裂があり不安定化している可能性がある他、崩壊地内に立木を載せた崩壊残土や河床に不安定堆積物もあり(写真5、6)、今後も強い雨に伴う侵食や土砂流出の可能性も考えられる。

   
写真5 
崩壊部(滑落崖下方に立木を載せた残土)                 写真6 崩壊の流下衝突斜面

 4)勾配: 下流の流下部(一部堆積)は9度〜11度程度、最上流の治山堰堤周辺では18〜20度程度で、崩壊部は30度程度であった。地形解析から等価摩擦係数は0.25〜0.24程度と計算され、従来の等価摩擦係数の研究と比較すると、崩壊体積に対してかなり流動化していると思われる。

 5)地質・土質・など:中・古生界の四万十層群と新生界火山岩類が分布。崩壊地の地質は安山岩と凝灰角礫岩であり、上方の安山岩風化部とその上の土層が地下水圧の増加により崩壊したと考えられる。

 6)地形など:崩壊部斜面は南東向きで、斜面は安山岩の溶岩台地から成ると思われる。流下部はほぼ南向き。下流部谷の出口は扇状地地形になっている。その他、治山堰堤が3基(高さ6〜6.5m、長さ35〜43m、幅1.8m)あり、破壊されてはいるが、残存している(写真 7)。また、GPS測位によると、写真7右の治山堰堤付近の緯度は約N32°11′10″、経度は約E130°28′06″程度となっている。
 下流の堆積部に流出した巨礫の最大のものは、概略の実測で幅約3.8×長さ約4.1m×高さ約2.2mであった
(厳密な数値は再測が必要です)

 7)植生・土地利用など:現地で確認できたところでは、スギの人工林が流域上流部に広く見られる。また、下流扇状地は棚田として利用されている。

b.気象条件

 7月19日から九州地方は、激しい気象に見舞われたが、一度、回復したのち、20日朝にかけて @梅雨前線が九州北部沿岸に停滞しており、A大陸方面からの水蒸気を含んだ西寄りの上空の風、及び  B遠方の台風7号、8号により水蒸気を供給された太平高気圧縁辺流が、C九州西方東シナ海上で収束し、D700hpa高度や850hpa高度(1500m〜3000m)に水蒸気が供給されて強い降水が継続する状態であった。 この条件に伴い、マルチセル型に組織化された積乱雲が西方海上で次々発生し、水俣市方面へも東進した。
 県の水俣川・深川雨量計では7月20日1時から25mm/hrの雨が降り始め、3時には42mm/hr、4時に87mm/hr、5時には91mm/hrという猛烈な雨を観測している。累加雨量は4時には223mmに達していた。

      

写真7 破壊された治山堰堤(下流にもう1基あるが、破壊の程度はこれらより小さい。)


 ◆ 現地調査の機会を与えていただいた砂防学会に記して感謝します。また、熊本県芦北地域振興局土木部の皆様と林務担当の方々には資料・情報の提供で大変お世話になりました。 

■□この報告は、砂防学会調査団員としての見解ではありません。 公式な調査結果は、 砂防学会ホームページの速報(http://www.jsece.or.jp/survey/20030720/sokuho.pdf)、または、 砂防学会誌の調査報告をご覧ください。■□


以上です。

今後も、改定を行う予定です。

(2003/11/25版)

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