Monologue

32言目:ピッチングをカードゲームに例えて説明してみる

前回の3で述べた、「良い球を投げることしか考えていない」を深掘りするにあたり、どうすればニュアンスが伝わりやすいか考えてみました。

うまい例かどうかは微妙ですが、ピッチングをカードゲームに置き換えてみます。

40代以上の方はポーカーなどを、

20~30代の方は遊戯王を、

10代以下の方は自分の分かるカードゲームをイメージしてください。

分かりにくい人は、将棋でもいいです。

 

すごくざっくりですが、カードゲームで勝つには以下の2つの要素が必要だということは想像ができます。

(1)手札自体の強さ

(2)手札を抜群のタイミングで使う技術

(1)と(2)どちらが欠けても勝てないのは想像しやすいですね。(「カードゲームはそんな単純ではない」というご指摘は一旦置いておきます)

ピッチングでいう手札とは、「150キロが投げられる」「スライダーで空振りがとれる」などの自分の武器と考えればよいでしょう。

ダルビッシュ有投手や田中将大投手、菅野智之投手のような一流の投手を見ていると、150キロ台を自在に操ることは、彼らにしてみれば最低限度の技術であり、打者を抑えるための手札の1つに過ぎないと考えているのではないかと感じます。

「150キロ台の制球されたストレート」を手札として、打者との駆け引きや配球のなかでその手札をどう使っていくか、という次元で勝負しているその姿勢は、カードゲームのプレーヤーや、将棋の棋士に近いのではないでしょうか。

更に、ダルビッシュ投手が特にすごいのは、既に(1)(2)ともに異次元の実力であるにも関わらず、今なお新しい手札をどんどん増やしていることです。

また、星野伸之投手(元オリックス)、武田勝投手(元日本ハム)、成瀬善久投手(元ロッテなど)のような、いわゆる“軟投派”の投手もいます。

彼らの持っている手札は、そこまで強いものではないかもしれません。

ですが、扱い方が抜群に上手であれば、プロ野球の世界でも勝負できるのです。

スヌーピーの名言に「配られたカードで勝負するしかないのさ」というものがありますが、まさに配られたカードを絶妙に使いこなし勝負する、名プレーヤーといえるでしょう。

 

一方で、いい球を投げることしか考えていない投手は、カードゲームのプレーヤーというより、レアカードを集めることに必死なコレクターと似ています

強い手札を手に入れるための努力は惜しまなくても、その使い方に目を向けようとしないから、とてもカードゲームのプレーヤーには、なれていません。

単なる「熱心なカードコレクター」に過ぎないのです。

制御の効かない150キロを投げて自滅する投手を見て「こいつ、痛いやつだなぁ」と感じるのは、レアカードを持っているコレクターが、カードゲームでそのカードを全く使いこなせない痛さに似ています。

こんな投手を「カードコレクター」と呼びましょう。(絶対流行らない、、、笑)

 

近年は、最高球速が過剰評価されている風潮だと感じます。

スカウトの人が「上司に意見を通すには、最高球速のインパクトが無いと通しにくい」と、どこかで言っていたのを記憶しているので、その通りなのでしょう。

この風潮はいかがなものでしょうか。

言い方は大変悪いですが、レアカードを見つけて喜んでいる小学生と同じレベルではないですか?

その風潮をアマチュアの選手も感じ取っています。

だから、プロに行きたい投手は、皆こぞって最高球速の上昇を目指してしまいます。

常時140キロ後半で投げられる投手の自己最速150キロは良いですが、常時140キロに満たない投手が、1試合に1球投げられるかどうかの自己最速150キロは、100枚ある山札のなかに1枚しか入っていない手札が出るのを、ずっと待っているようなものではないでしょうか?

勿論、強い手札を持っていることは立派な才能ですし、強い手札を手に入れるために努力する姿勢も重要です。

ですが、強い手札をただ持っているだけでは、名プレーヤーとは言えないのも事実です。

手札を使いこなす才能は、全く別物です。

このまま今の風潮がずっと続けば、星野伸之投手(元オリックス)、武田勝投手(元日本ハム)、成瀬善久投手(元ロッテなど)のような、いわゆる“軟投派”の投手が日の目を見ることがなくなるでしょう。

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