Monologue

40言目:真面目な者は遅かれ早かれ馬鹿を見ない

「昔語りをする大人ほど面倒なものはない」とはよく言ったものですが、今回はまさに、おっさんが長々と昔語りをします。

過去1番に長い文章なので、面倒に感じる方はブラウザの「戻る」ボタンをそっと押していただければ幸いです。

今回は、いつも以上に単なるひとりごとです。

万人受けする話でもなければ、ためになる何かを得られる話でもありません。

それでも読んでいただける方は、下記よりどうぞ。


 

高校野球を頑張っている皆さんに対して非常に恥ずかしい話となってしまうが、私の高校はマンガに出てくるような典型的「THE 弱小校」だった。

監督・部長は素人同然。

数人いた先輩はやる気が全くない。

試合はいつもコールド負け。奇跡的にコールド負けしなかったら大喜び。

せっかく専用グラウンドがあるのに、整備が雑なため内野は小石ばかりで、外野は草っ原。

などなど…

そこに(自分で言うのもあれだが)やる気に満ち溢れた者がたまたま多かった我々の代が入部した結果、居心地の良いぬるま湯のような居場所を失った先輩達は、1人を残して退部した。

また、普通の高校では絶対あり得ないだろうが、スタメン決めや試合中の采配まで、監督を差し置いて選手が行なう状況になっていった。

しばらくは、自分達だけの力で強くなろうと奮闘した。

だが、(超高校級に優秀な集団は除くとして)大抵の高校生がそうだろうが、高校生が自分達だけで「完璧に自律した組織」を作り上げることは流石に無理があった。

そこに、やる気のない後輩達が加入したことで、部の雰囲気はまた緩んだ。

厄介なことに、後輩達は真面目に練習しないにも関わらず、野球の実力はそこそこあった。かつ、「我々の代では守れる者がいないが、後輩は守れる」というポジションがいくつかあった。

その結果、

「全然練習に来なくても試合に出られる後輩」「毎日真面目に練習していても試合に出られない同級生」

が存在する状況が出来上がった。

そもそも、「練習に来ない者のほうが実力が上」というマンガのようなチーム状況は普通あり得ない。だが残念ながら、部員数が極少の我が弱小校では、それがあり得てしまった。

 

選手が自分達だけでなまじ厳しくしようとすると、大人もしないような残酷なことを意外と平気でやってのける場合がある。

確かに『過程や姿勢は関係ない、やる気があろうがなかろうが、結局は実力だ』という言葉の響きには、強さや厳しさが感じられ、聞き心地が良い。こんな強い言葉を口にすれば、表面上は強いチームになった気になる。

事実、同級生の大部分がこの状況を受け入れた。

後輩達も、練習しなくても試合に出られるのであれば、当然味を占める。本当に試合にしか来ない輩も複数名いた。(勿論、後輩のなかにも真面目な者はいた。)

私は、この状況がむちゃくちゃ胸糞悪かった。

一度、「同級生のうちコンバートできそうな者がコンバートして、後輩しか守れないポジションを潰せないか」という提案をしたが、あっさり却下された。

同級生の大半はポジションが確約されているので、このまま何もしなくても試合に出られる。リスクを負ってまで、わざわざ慣れないポジションにコンバートする理由はなかった。

かつ左利きの私では物理的に守れないポジションだったため、「私自身が後輩からポジションを奪う」という選択もできなかった。

 

この状況が全く問題ない、と本気で思っている者は流石にいなかったはずだ。

だが、我が弱小校は一丁前に「自らに対する厳しい姿勢」を持ち続けていたので、『結局は実力』『そのポジションを守れない自分達が悪い』『悔しかったら実力で奪い取ればいい』という強力な言葉を自らに言い聞かせ続けていた。

こんな強い言葉を打ち返すだけの反論は、大人でも難しい。

私はこれ以上成す術がなく、この状況を黙認するしかなかった。

 

そして、そのまま迎えた高校最後の大会、

全然練習に来ない後輩はいつも通りスタメンとして出場した。

毎日真面目に練習していた同級生は、負けがほぼ確定した最終回に代打の1打席を与えられ、現役生活を終えた。

偉そうなことを言っておきながら、最後の試合でエラーを連発し足を引っ張りまくった自分が死ぬほど情けなかったが、最後までチーム状況を変えることができなかった無力な自分は、もっと情けなかった。

自分は結局何もできなかった。

自分は何かできることはなかったのか。

これ以降、私の人生の根幹に「真面目な者が馬鹿を見ないためにはどうすればいいのか」というテーマが出来上がった。

その後、私は大学に入ってからも野球を続けた。大学では環境に恵まれ、最後まで本気で野球に集中することができた。だが、大学の4年間でも、テーマに対する自分なりの答えを見出すには至らなかった。

 

そしてそのまま大学を卒業し、私は社会人になった。

 

学生時代にとても長い間悩まされ、自分の中で“人生を懸けた大テーマ”となりつつあったこのテーマだが、社会人1年目で、あまりにもあっさりと決着がついてしまった。

 

社会人1年目の時、OJTの世話役をしてくれていた先輩と、いつものように仕事終わりに飲んでいた。

(※OJT:On-the-Job Training:研修ではなく、配属先の現場で新人に対して実務教育を行うこと)

その席で、たまたま私の高校野球の話題になった。

だいぶ酒も進んでいたので、高校時代の部活の状況や、真面目な者が馬鹿を見ないためにはどうすればよかったのかを、熱く先輩に語った。

先輩は野球経験者ではなかったが、私の熱い話をひととおり聞いたあと、すぐにこう話してくれた。

その同級生は、たまたま野球では結果が出なかったかもしれないが、

「努力できる」という土台が出来ている。

だから野球以外のことでも頑張れるはずだし、もし運よく野球よりも向いていることを見つけられれば、大きな結果を残せるかもしれない。

仮にそうでないとしても、社会に出たら困難に直面することが往々にしてある。

真面目に努力ができる人は、大抵の困難は乗り越えていける。

 

逆に、たまたま野球がちょっと上手だったというだけで、努力ができないやつは、確かにお前がいた野球部ではいい思いをしたかもしれない。

だが、当たり前だが、そもそもそんなやつが野球を極めてプロになれるはずはない。

なので、結局いつかは野球以外のことで生きていかなければならないが、

努力ができないから、野球以外のことではまず通用しないだろう。

努力ができないから、もし困難に直面してもすぐに折れてしまうはずだ。

そうしていつの日か、どうしようもなくなり行き詰まる。

 

最終的に、どっちが馬鹿を見る?

 

先輩の話に、私はすっかり納得してしまった。

自分が長年悩んでいたテーマを、先輩は秒で解決してしまった。

社会人ってすげぇな、と思った。

 

今までは、「どうしたら『真面目な者が馬鹿を見る』ような環境を改善できるか?」という視点でばかり考えていた。

確かに、そういう環境を改善できるのであれば、改善したほうがいいに決まっている。もし自分が変えられる立場にいるのであれば、是非そうしたい。

ただ、必ずしも全てが改善できる訳ではない。自分の手には負えない状況もある。残念ながら社会には理不尽が溢れている。

そんな時に、第三者がいちいち手助けをしなくても、真面目な者は何度も困難を乗り越えていける。

たとえ、今現在「真面目な者が馬鹿を見る」状況に置かれていたとしても、真面目な者は、最終的にはそうではない状況へ自らを導いていける。

真面目な者は遅かれ早かれ馬鹿を見ない。

少なくとも私はそう思えた。

 

早いもので、社会人になってから10年近くの歳月が経った。

社会人になり成長したのか、それともひねくれてしまったのかは分からないが、高校時代の自分は純粋で、古き良き日本人っぽくて、かつちょっと青臭いなぁ、と今では思う。

けれども、18歳当時の自分の純粋で青臭い考えは、今も嫌いではない。

ちなみに件の真面目な同級生は、今では忙しい仕事と子育てをしっかり両立させるだけでなく、その合間を縫って社会人ロードバイクという新たな世界に足を踏み入れ、変わらずストイックでチャレンジングな日々を過ごしている。イケてる大人へと見事に成長している。

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